東京高等裁判所 昭和29年(う)915号 判決
被告人 斎藤英雄
〔抄 録〕
論旨第一点。
被告人が原判示貨物自動車を運転して、走つている被害者佐藤就一郎の自転車と停車中の荷馬車の中間を時速約二十粁の速度をもつて通過したこと、及びその瞬間、被害者佐藤が転倒して被告人の自動車で轢殺されたことは、争のないところ、原判決挙示の証拠によれば、
(1) 被告人の自動車とは反対の方向から道路の南寄り(被告人の方から言つて右側寄り)を縦一列に進行中であつた荷馬車二台が、疾走して来る被告人等の自動車に身の危険を感じ、わざわざ道路の南端に退避停車して自動車の通過を待つたこと(所論において、原判決に「荷馬車、被告人の自動車、被害者佐藤の自転車の三者が進行すれば」という趣旨の記載あることを捉立て、原判決は、荷馬車の停止していた事実を認めない事実誤認の過誤をしたものであると主張する。なるほど、原判決には、言葉の不足から、その点についての事の表現としてやや当を欠くものがないとは言い得ないとしても、原判決は、必ずしも、衝突の際荷馬車が停止していたことを認めない趣旨で左様な表現をしたものとは言えないのみならず、それは、少くとも、被告人が自己の運転する自動車、荷馬車、被害者の自転車の三者が同一個所を平行して同時に擦れ違う状態となるべきことを予想した場合業務上の注意義務を負担する被告人の取るべき措置を判示するため、当初進行中であつた荷馬車につき所論の如き仮定的表現を取つただけのことで、荷馬車が事前において、すでに停止していた事実があるからといつて所論の前示表現をもつて敢て原審が事実を誤認したものと言うことはできない)
(2) 道路の北寄りを被害者佐藤の直ぐ後方から同一方向(東方)に同じく自転車に乗つて走つていた深谷武郎が後方から疾走して来る被告人の自動車に気づき、該自動車が、右停車中の荷馬車と自己の運転する自転車との中間を走るようなことになつた場合の危険を感じこれを避けるため自転車を下りたこと、
の明らかなるに照らし、被告人の運転する自動車が、依然として自転車に乗つて進行を続けている被害者佐藤と停車中の荷馬車との中間を敢てそのまま走るにおいては、同人に対し危害を及ぼす虞のあつたことを窺がい得るに充分である。されば、当時の状況として、事前に、このように右中間を疾走することになることを予知した自動車運転者たる被告人としては被害者佐藤に衝突等による危険を及ぼすことのないように、警音器吹鳴等によつて同人の充分な避譲を見極め、或いは、同人の自転車が荷馬車の横を走り抜けるのを確認するなどして交通の安全を見極めた上で進行を続けるか、それとも、荷馬車と被害者の自転車との中間を敢て進行する以上同人の挙措に終始愼重な注意を払いながら臨機万善の処置に出すべく、充分速度を落し、適宜警音器を吹鳴して進行すべき業務上の注意義務があつたものと言わざるを得ない。然るに記録によれば時速数二十粁の速度で貨物自動車を運転疾走していた被告人は、事故発生前被害者佐藤の姿を認めた際一回警音器を吹鳴しただけで右孰れの措置にも出でず、前示荷馬車と疾走する被害者の自転車との中間を被害者に対する慎重な注意も払わず、充分に速度を落すことなくして、漫然時速約二十粁の速度のまま進行したため、被害者を追い越そうとした瞬間、被告人の運転する自転車の運転台左外側下方突角部が、被害者佐藤の自転車の右側ハンドル握手突角部に接触して佐藤を自転車から被告人自動車の車体下に転倒させ、これにより同自動車の後部車輪で同人の頭部及び背部を轢いて同人を即死させるに至つたことが明白であつて、事の態様において、被告人は到底刑法第二百十一条前段所定の業務上過失致死の罪責を免かれない。原審がその判決に挙示する証拠によつて以上と同一の趣旨をもつて事実を認定し、被告人に対し、これが罪責を認めたことは正当である。
所論において、被告人の自動車が被害の自転車に接触したとすれば、自転車は、はねとばされて証拠写真の如き状態に置かれることはなかつた筈である、また、被害者の体が接触したとしてもそうであると主張しているが、証拠によつて認められ得る衝突直前における前説示の如き状況及び衝突直後被害者の自転車の右側ハンドル握手突角部に附着していた緑色のペンキ(それは瀝青であるとの所論主張は、記録上これを確認するに由がない)と被告人の自動車の運転台ドアー左外側下方突角部の緑色のペンキが剥げ落ちていた痕跡等によつて考察するときは両者は、右各突角部において衝突し、これが少くとも一つの原因となつて被害者佐藤を所論にいわゆる証拠写真―実況見分調書添附の写真―の如く転倒させて本件死の結果を招いたものと言わざるを得ないから所論主張は採用できない。
その他記録を精査するも、前判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認はなく、論旨は、すべてその理由がない。